富士宮秋祭り

富士山の麓富士宮市で毎年行われ、勇壮な富士宮囃子の競り合いで知られる富士宮まつりのご紹介です。

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富士宮まつり青年協議会製作

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富士宮まつり要旨抜粋
概要
 富士宮市は富士山本宮浅間大社の門前町として古くから富士登山の起点として栄え、明治から昭和初期にかけての大宮町(当時の富士宮市)の養蚕、蚕糸産業の隆盛で大きく発展しました。
富士宮まつりはこの浅間大社の秋の例祭に、氏子町内が祭り囃子を賑やかに囃し山車や屋台を引き回し、収穫と一年の無事を感謝するもので十一月の三日から五日まで行われ、勇壮な競り合いを売り物に二十一の町内が実施しています。

富士宮まつり初日の三日には浅間大社に宮参りが行われます。
二十一の町内は拝殿前には入りきれぬために、前後二組に分けて宮参りを行います。

中日の四日には浅間大社周辺に山車・屋台を集結し、共同催事が行われます。
その後山車を移動させて目抜き通り各所において勇壮な競り合いや踊りなどを繰り広げます。

このまつりで囃されるお囃子の富士宮囃子は、平成七年三月に静岡県無形民俗文化財に指定されました。

富士宮まつりでは山車と屋台が引き回されていますが、富士宮型といった定型は特に無く、それぞれ個性があります。
明治四十四年に根古屋より購入したという松山区の三輪の山車以外はすべて四輪で、新たに作られる山車は大型化する傾向があります。


歴史 江 戸時代浅間神社の大祭礼は四月と十一月の初申の日と九月十五日でしたが、明治五年十二月三日をもって明治六年一月一日にするという太陰暦から太陽暦への改 暦は全国の祭礼実施に大きな混乱を生じました。一月近くのずれは季節感を大きく損なうものでしたから、思い悩んだ末に浅間神社は県庁に対し伺いを立て、そ の結果その年の新暦十一月四日が庚申であったことから、その日を大祭と定めることが允許され、今日に至ります。

当時の造り酒屋当主の日記「袖日記」には「家臺」や「ダシ」という記述が見られ、万延元年(西暦1860年)にはすでに引き回しが行われていたことが推察されます。
また天保三年(1832)9月と書かれた咲花の祭典の御通が新たに見つかりました。

明治末期に国が青年組織を奨励したことから、大宮町でも大宮青年団が組織され、分団という地域割りがなされ、それが今日の祭り組の原型になりました。この 分団ごとの対抗意識から後に続々と新しい祭り組が誕生し、蚕糸産業の隆盛による大宮町の拡大の勢いを得て昭和初期には祭りは爛熟期を迎えました。
この時期、静岡県下の花柳界で一番の隆盛を誇ったのが大宮町の花柳界でした。芸妓置屋を持つ町内は山車には乗せないものの屋台に芸者衆を乗せ三味線や太鼓の入った屋台囃子を囃させ引き回すなど祭りにも新たな囃子が競って取り入れられました。

戦後いち早く祭りは復興されましたが、昭和三十年代後半から五十年代初期まで低迷期が続きました。

この祭の低迷に歯止めをかけようと、昭和四十年十一月四日には文化連盟が音頭をとり、市立公民館で「富士宮ばやし保存発表会」が行われました。四十一年二 月には保存会が富士宮市長を会長に盛大に発会し、様々な活動を繰り広げ、四十一年八月には富士宮囃子が富士宮市の無形文化財に指定されました。

富士宮ばやし保存会「湧玉会」の遠藤氏、有賀氏をはじめとする方々のご尽力の甲斐あって、昭和五十年代に入って祭りは各町内で再開され徐々に盛り上がり、 各町内の青年達は昭和六十一年秋祭りの後に秋祭り青年協議会を発足させました。地元の祭りをもっと広く世間に知らせたいという願いで、競り合いを見せ場に 共同の企画を模索しています。

近年山車の新造も相次ぎ、こういった祭りの盛り上がりに刺激されてか、今までの祭り実施区域外からも新たに祭りに参加する区が出てきて、現在二十一の区が秋祭りを実施しています。


祭典実施区 川東
阿幸地 (日の出-休止中) 瑞穂 大和 咲花 常磐 木の花 浅間 神田 城山
祭典実施区 川西