祭りの記録が浅間大社にあるのではと問い合わせた所、浅間大社で行われる神事の記録は残っているけれど町方氏子町内が行うつけ祭りの記録は浅間大社には無いとのこと。
町方に残る文書の記述では、”袖日記”から江戸時代後期万延元年まで遡ることが出来ます。
明治時代後期、国策として青年組織が奨励され大宮青年団が発足した。
その時の分団が現在の行政区(祭り実施町内)に続いています。
大正から昭和初期にかけて、大宮町は急速に発展し町はどんどん膨らみ祭りも爛熟期を迎えました。
昭和7年に大宮町大火で神田川以東が大きな被害に遭った物の、2年後の9年5月には「復興祭」を行いました。
第二次大戦中は祭りは休止されましたが、戦後の昭和21年には祭りが行われています。
昭和30年代後半から50年代初めにかけて祭りは低迷しましたが、後半からじわじわと山車の復元や修復、新造が進むと祭りは活気を取り戻し、61年の青年協議会誕生を機に現在の隆盛に繋がっています。