ようこそ富士宮まつりに

11月4日本宮共同催事退場後、宮本会所前で宮本、琴平、福地3区による競り合いが行われました。

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令和元年富士宮まつりが行われました

宮まいり本宮共同催事山車・屋台競り合い
囃子方踊り会所

令和元年富士宮まつりの写真報告です。
それぞれのタイトルと写真からページにジャンプしますので、クリックして下さい。

初日 宮参り

11月3日浅間大社拝殿前に参集した全町内がお祓いを受け、玉串奉奠の後一斉に囃子を奉納します。

修祓

中日 本宮共同催事

11月4日夕刻より浅間大社前の目抜き通りと登山道に山車・屋台を集結させ、式典と一斉囃子、共同踊り、競り合い、踊りを繰り広げます。

11月4日本宮の共同催事に集結する山車・屋台

競り合い

古くはすれ違うのもままならぬ狭い道で進路を得る為に囃子で競い合ったものです。
白熱するあまり喧嘩沙汰が後を絶たず、競り合いで囃す「屋台」と言う囃子は喧嘩囃子の異名を持つようになりました。

浅間×城山

囃子方

喧嘩囃子とは言っても囃子方が喧嘩したわけでは無く、囃子方でない興奮した者たちがやらかしたからと言われています。昨今の鉦の絡み過ぎにはちょっと危うさを感じてしまいます。

阿幸地

山車・屋台

富士宮まつりで引き廻される各区の山車と屋台をご紹介します。
富士宮型というような定型はありませんが、松山の三輪以外は四輪です。
迫り上がり構造で人形や屋形などを載せている物は山車と呼び、一層で迫り上がり構造をもたないものを屋台と呼び分けます。

神立

踊り

共同踊り

会所

祭典実施区の会所をご紹介します。

羽衣区会所

歴史

祭りの記録が浅間大社にあるのではと問い合わせた所、浅間大社で行われる神事の記録は残っているけれど町方氏子町内が行うつけ祭りの記録は浅間大社には無いとのこと。
町方に残る文書の記述では、”袖日記”から江戸時代後期万延元年まで遡ることが出来ます。

明治時代後期、国策として青年組織が奨励され大宮青年団が発足した。
その時の分団が現在の行政区(祭り実施町内)に続いています。

大正から昭和初期にかけて、大宮町は急速に発展し町はどんどん膨らみ祭りも爛熟期を迎えました。

昭和7年に大宮町大火で神田川以東が大きな被害に遭った物の、2年後の9年5月には「復興祭」を行いました。
第二次大戦中は祭りは休止されましたが、戦後の昭和21年には祭りが行われています。

昭和30年代後半から50年代初めにかけて祭りは低迷しましたが、後半からじわじわと山車の復元や修復、新造が進むと祭りは活気を取り戻し、61年の青年協議会誕生を機に現在の隆盛に繋がっています。

町内・組織

阿幸地浅間大中里
神田神立貴船
木の花琴平咲花
城山神賀高嶺
常磐二の宮羽衣
福地(立)松山瑞穂
宮本大和青年協議会
山車屋台一覧会所一覧囃子方一覧
宮まいり本宮共同催事競り合い

昔、神田川を境に西は大宮西町、東は大宮町と別の町でした。
最初川西には「湧玉」という祭り組があって、川東には「磐穂」「咲花」という祭り組がありました。川西ではその後それぞれに独立して祭り組を作った際に、湧玉の囃子を受け継ぐと言った意味から親名に「湧玉」をつけ「湧玉○○」と名乗りました。それが現在も続いていますので、提灯などの文字で上に「湧玉」と入っているのは川西の町内だと判ります。

このサイトは

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