富士宮囃子

富士宮囃子 静岡県指定無形民俗文化財

関東ブロック民俗芸能大会出演記録

歴史  

 富士宮囃子の起源については、明治時代に根古屋(沼津市)から囃子方を招いて祭りを行った事から、根古屋から伝えられたという説や、その他諸説は多くあるが、現在まで明らかになっていない。曲の調子・曲名等から関東の囃子(和歌囃子など)に起源がある可能性があるが、どのような経緯で富士宮に伝わってきたのかは、不明である。江戸時代末期の商人日記である『袖日記』(市指定有形文化財)には、万延元年7月6日の「東町若イ衆家臺出ス・・」の記述があり、「家臺(屋台)」や「ダシ(山車)」が江戸時代末期すでに引き回されていて、祭りを行っていた事が分かる。
 祭りには、囃子(鳴り物)は欠くことの出来ないものだけに、富士宮囃子の発祥は幕末期にさかのぼるものと推定される。

昭和41年、「富士宮市指定無形文化財」に指定。
平成7年、「静岡県指定無形民俗文化財」に指定。

曲目と機能  

 現在、富士宮囃子に置いて演奏される曲目は、歩行時に演奏される囃子と、山車・屋台上で演奏される囃子の二つに分類される。宮まいり等での歩行時には「道囃子-みちばやし(籠丸-かごまる)」「通囃子-とおりばやし」「宮まいり」などが囃され、山車・屋台の引き回しには、「にくずし」「屋台」「昇殿-しょうでん(聖天-しょうでん)」などが囃される。
 「にくずし」は山車・屋台の引き回しの際に主に囃される曲で、「屋台」は競り合いの際に囃される曲である。特に「屋台」は、競り合いをめぐり喧嘩沙汰が多かった事から、別名を喧嘩囃子とも呼ばれている。「昇殿-しょうでん(聖天-しょうでん)」は、かつて競り合いに勝った組が山車を進める際に囃したと言われている。

奏法  

 富士宮囃子の基本的構成は、きんど(締太鼓-しめだいこ)2人、おおど(長胴太鼓-ながどうだいこ)1人、笛(篠笛-しのぶえ)1人、鉦(当り鉦-あたりがね)1人の五人囃子であるが、必要に応じて笛・鉦は増員される。
 基本のリズムはきんどが刻み、おおどは、きんどの合間に緩急をつけながら演奏する。笛は歌をふきながら、全体の主導権を握っていて、曲の切り替えや終了の際には、合図となる歌を入れる。鉦はきんどと共にリズムを刻んでいるが、競り合いの際には相手の調子を狂わすべく、相手の山車に接近しながら演奏する。
 浅間大社の神田川を境に、東「磐穂」「咲花」、西「湧玉」に分かれていて、曲調・奏法に若干の差がある。
奏法(笛)R511.21追記
篠笛のテクニックとして”笛玉”というのがあります。
これは息を細かく断続させて通常の息遣いでは出せない細かな切れ切れの音を出すこと。その出し方を知らない頃は唇と息の強さだけで試行錯誤していました。ある晩湧玉会で笛の指導をしていた有賀さんが練習場の前を通りかかった時、笛玉について聞いて唇ではなく舌だということを教えていただきました。笛玉が何かというと、ホイッスルの音の様に「ピ、リ、リ、リ、リ、リ」というように細かく断続する音です。ホイッスルの場合は中に入ったコルクの玉が転がりながら歌口にあたる息を細かく遮断することで音が断続します。

練習中に部分的に笛玉を入れてみたものです。1分52 秒あたりから3分ころまでと終了前の一瞬です。


”二丁笛”は、笛玉の様な断続ではないもののビリビリと振動する様な音の響きです。二丁の笛が同じ旋律を同時に吹く時、周波数の僅かなズレが”うなり”を生じさせるものです。

湧玉神立による囃子披露より抜粋

追記ここまで

競り合いの伝承  

 本来競り合いはすれ違うのもままならぬ狭い道で、どちらが道を譲るかを囃子で競ったもので負けた組は山車を引き下げて道を譲り、買った組は昇殿(聖天)を叩きながら山車を進めたと言われている。
 現在では、競り合いを行う各組(連)により、事前に交渉が設けられ、細部について取り決めを行っていて、礼節を重んじた競り合いが行われる様になっている。
 祭りの後継者である子供たちを育成するにあたり、囃子の技術的な部分と競り合いの礼儀作法をあわせて指導しながら、後世に伝承している。

浅間大社青年会囃子同好会による囃子披露同好会

関連  

富士宮囃子保存会
国民文化祭 お囃子の祭典
富士宮囃子と秋祭り(外部リンク)