令和5年富士宮まつり曳き回し
磐穂神田組の曳き回し体型
先導する車両には放送設備、投光機、太鼓セットなどが見えます。そして参加者たちが山車の綱を曳き進みます。
東進する湧玉羽衣の山車と西進する湧玉宮本の山車がすれ違います。
この広い道幅では問題ありませんが、江戸末期から明治初期には3〜4m程しかなかったと言いますから、山車がすれ違うことができず出会った際にはどちらが道を譲るかを囃子で決めたとのこと。
これが「競り合い」です。
湧玉宮本が高嶺区を訪問し、高嶺会所に向けて表敬の囃子披露を行いました。
競り合いを行う前に、瑞穂が神田会所に向け表敬の囃子を披露。
湧玉宮本が前月亡くなった元区長宅に向け、鎮魂の囃子を奏しました。
磐穂神田組が祭りに協力していただいている信用金庫神田支店に対し感謝の囃子披露を行いました。
競り合いに向け城山区山車が浅間区に入り、競り合い場所に向け進みます。