「湧玉」は明治中期まで神田川以西で唯一の祭り組織の名前でした。
町の拡大で新たな町内が独立する際、”湧玉”を新たな町名の頭に親名として戴いたようで、現在も神田川以西の町内は全て湧玉の親名を名乗っています。
- 大中里 もっとも西の町内
- 貴船 古くは「貴船」と「寿」二つの町内でした
- 羽衣
- 松山 西町商店街
- 神立
- 神賀
- 琴平 福地から分離独立
- 高嶺 宮町商店街
- 宮本 古くは社人町、祭り組としては「寿」(寿町と合同)「御幸」
- 福地(立) 古くは「立」を名乗っていました
- 二の宮 宮本から分離独立
湧玉御幸(湧玉宮本の前身)の囃子方半纏襟に「湧玉はやし御幸」とあります。
湧玉の囃子を受け継ぐ「御幸」という町内という意味合いが親名として残っているのでは無いでしょうか。