富士山本宮浅間大社と富士宮市
富士山本宮浅間大社(以下浅間大社と略記)は富士宮市の中心的な位置に立地し、そこは神立山(かんだちやま)の森に抱かれた豊かな湧水の畔で、水と緑の町富士宮市の象徴的な存在です。富士宮市はその浅間大社を中心に発展してきた門前町だと言われていますが、今その面影はどこに残っているのでしょうか。昭和40年代半ばまでは、富士登山者が富士宮駅の大鳥居をくぐり、登山用の麦藁帽子や金剛杖が店先に並べられた通りを陸続と浅間大社へ向かいました。また、流鏑馬祭と秋まつりには臨時の電車やバスが運行され、富士宮市内はもとより芝川町や富士市・山梨県からも多くの人々がやってきて町中が賑わいました。
浅間大社には、そうした賑わいを醸し出す力があったのです。浅間大社の富士山の噴火を鎮める水徳の神は、富士山の平穏期には水の徳を以て私たちに豊饒をもたらす神として信仰されてきました。流鏑馬祭には、「流鏑馬に馬を出すと、怪我や病気をせずに農作業が順調に進み豊作をもたらす。」といわれ、多くの馬が参加しました。浅間大社の「流鏑馬祭辞令台帳」を見ると、昭和8年には現富士宮市11頭・芝川町2頭・富士市19頭・富士川町(松野村)2頭の式馬が参加しています。また、昭和14年には山梨県南巨摩郡富河村(現南部町)からも1頭の式馬が参加しています。このように、太平洋戦争前までは、流鏑馬祭の式馬が現富士宮市内に止まらず富士市や富士川町からも、山梨県南部町方面からも奉仕していました。
富士宮市制65周年記念冊子「浅間大社例祭富士宮秋まつり」より
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