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17: 2017-11-12 (日) 23:36:52 admin ソース バックアップ No.17 を復元して編集 現: 2017-11-13 (月) 08:09:43 admin ソース 編集
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**歴史 [#cec1f790] **歴史 [#cec1f790]
 「祭」の字が肉を神前に捧げ持つ様を表すように、祭りの根本は祈りです。つまり神事として行われる神社の祭りがあり、氏子町内が囃子を奏しながら山車や屋台を引き回すことを富士宮では「つけ祭り」と呼びます。秋の収穫に対し感謝する神事としての秋祭りは浅間大社が祀られた当時より行われていましたので、約千二百年の歴史があり、一方、氏子町内の山車や屋台を引き回し、囃子を奏でる引き回しの歴史は記録や資料に乏しく、定かではありません。  「祭」の字が肉を神前に捧げ持つ様を表すように、祭りの根本は祈りです。つまり神事として行われる神社の祭りがあり、氏子町内が囃子を奏しながら山車や屋台を引き回すことを富士宮では「つけ祭り」と呼びます。秋の収穫に対し感謝する神事としての秋祭りは浅間大社が祀られた当時より行われていましたので、約千二百年の歴史があり、一方、氏子町内の山車や屋台を引き回し、囃子を奏でる引き回しの歴史は記録や資料に乏しく、定かではありません。
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 現存する記録からは江戸時代末期まで遡ることが出来ます。  現存する記録からは江戸時代末期まで遡ることが出来ます。
 江戸時代浅間神社の大祭礼は四月と十一月の初申の日と九月十五日でした。明治五年十二月三日をもって明治六年一月一日にするという太陰暦から太陽暦への改暦は全国の祭礼実施に大きな混乱を生じました。一月近くのずれは季節感を大きく損なうものでしたから、思いなやんだ末に浅間神社は県庁に対し伺いを立てました。その結果、その年の新暦十一月四日が庚申であったことからその日を大祭と定めることが允許され今日に至ります。  江戸時代浅間神社の大祭礼は四月と十一月の初申の日と九月十五日でした。明治五年十二月三日をもって明治六年一月一日にするという太陰暦から太陽暦への改暦は全国の祭礼実施に大きな混乱を生じました。一月近くのずれは季節感を大きく損なうものでしたから、思いなやんだ末に浅間神社は県庁に対し伺いを立てました。その結果、その年の新暦十一月四日が庚申であったことからその日を大祭と定めることが允許され今日に至ります。
当時の造り酒屋当主の日記「袖日記」には「家臺」や「ダシ」という記述が見られ、万延元年(西暦1860年)にはすでに引き回しが行われていたことが推察されます。 当時の造り酒屋当主の日記「袖日記」には「家臺」や「ダシ」という記述が見られ、万延元年(西暦1860年)にはすでに引き回しが行われていたことが推察されます。
また天保三年(1832)9月と書かれた咲花の祭典の御通が見つかりました。 また天保三年(1832)9月と書かれた咲花の祭典の御通が見つかりました。
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いわゆる秋まつりのものでは無いかも知れませんが、当時すでに氏子町内が組織的に祭りを行っていたことがうかがえます。 いわゆる秋まつりのものでは無いかも知れませんが、当時すでに氏子町内が組織的に祭りを行っていたことがうかがえます。
 明治時代中頃はまだ実施組織が少なく神田川以西に「湧玉」、以東に「磐穂」「咲花」といった祭り組織があったにすぎないといわれています。後に分離独立する際にたとえば「湧玉」の囃子を受け継ぐ、あるいは「湧玉」の分かれであるいった意味合いから、新たに独立する川西の町内は「湧玉○○」と名乗りました。このようにこの名は今でも祭り組名の頭に親名として残っています。  明治時代中頃はまだ実施組織が少なく神田川以西に「湧玉」、以東に「磐穂」「咲花」といった祭り組織があったにすぎないといわれています。後に分離独立する際にたとえば「湧玉」の囃子を受け継ぐ、あるいは「湧玉」の分かれであるいった意味合いから、新たに独立する川西の町内は「湧玉○○」と名乗りました。このようにこの名は今でも祭り組名の頭に親名として残っています。
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 現在は市域も拡大した上、ほとんどの区が毎年実施するために、くまなく市内を一巡するということは無くなりました。  現在は市域も拡大した上、ほとんどの区が毎年実施するために、くまなく市内を一巡するということは無くなりました。
 本宮共同催事が運行の中心におかれ、浅間大社周辺に集結するその数の多さから山車の運行が互いに調整されています。  本宮共同催事が運行の中心におかれ、浅間大社周辺に集結するその数の多さから山車の運行が互いに調整されています。
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 昭和初期、静岡県下の花柳界で一番の隆盛を誇ったのが大宮の花柳界でした。芸妓置屋を持つ町内は山車には乗せないものの屋台に芸者衆を乗せ三味線や太鼓の入った屋台囃子を囃させ引き回すなど祭りにも新たな囃子が競って取り入れられました。  昭和初期、静岡県下の花柳界で一番の隆盛を誇ったのが大宮の花柳界でした。芸妓置屋を持つ町内は山車には乗せないものの屋台に芸者衆を乗せ三味線や太鼓の入った屋台囃子を囃させ引き回すなど祭りにも新たな囃子が競って取り入れられました。
#ref(93.jpg,70%,right,around) 昭和七年に大宮大火があり、神田川以東の多くの木造家屋は焼け落ちましたが、二年後の昭和九年五月には大火からの復興祭を盛大に行っており、当時の町の勢いが感じられます。 #ref(93.jpg,70%,right,around) 昭和七年に大宮大火があり、神田川以東の多くの木造家屋は焼け落ちましたが、二年後の昭和九年五月には大火からの復興祭を盛大に行っており、当時の町の勢いが感じられます。


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